高田三郎を感じた日
トラピスト会(厳律シトー会)としては300年以上、道南北斗市の渡島当別に根付いて100年以上の歴史を刻む「灯台の聖母 トラピスト修道院」の聖堂で、その修道士は私に告げました。『髙田三郎先生の聖歌なしには今の私たちの祈りは成り立ちません』。
2012年、復活祭が終わった後の4月末の月曜日、(男子修道院につき男性のみ、申込制のため許可を得て)念願だった内部見学をすることができました。
この日は晴天。案内された聖堂は、ステンドグラスはないけれど陽がよく差し込む、白を基調とした清冽な空間。その陽が差してくる方向の天空に浮かばれている聖母子。こちらを見下ろしているその表情は、木目を生かしたスリムなラインと、凛とした表情が印象的(作者は、彫刻家の舟越桂氏)。
この聖堂も築40年経つのに新鮮な印象しか感じません。修道士のための祈りの席が祭壇を取り囲み、まるでキタラホールなどのステージのよう。
その広い祭壇の中央にはこの日、復活祭の大蝋燭がまだ飾られていました。
元々仕事でピアノを弾いていた、というその30代の修道士は(個人の話はそれ以上は聞けなかった)たった1人の見学者の私のために聖堂のパイプオルガンで1曲、演奏してくれました。バッハの小プレリュードとフーガから1曲。演奏前に軽く1音鳴らして頂いた音は、聖堂内で心地よく跳ねかえり残響を残し、跳ね返った音で自分のみぞおち辺りが穿たれるような感覚。演奏が始まると信者でない私も思わず跪いてしまいそうになるほどの、美しさと荘厳さで、最後の一音が止んでも言葉を忘れていました。
その後「昔はラテン語で祈祷を行なっていたのですよね?」(*1964年頃まで。以降日本語での祈祷となる)という私の質問に対してのやりとりから、ブログ冒頭の返答がありました。
戒律を重んじるシトー会の精神は「祈り、働け」。トラピストと聞くと道民にはバターやクッキー(最近ではソフトクリームも)で馴染みが深いそうした「労働」(酪農・菜園・果樹園・庭園と多岐にわたる)、人間性を高め霊性を深めるための「読書」も重要ですが、修道生活の中心は間違いなく「祈り」。聖務日課に従い、最初の祈り(読書の祈り、午前3:45から)から最後の祈り(寝る前の祈り、午後7:40から)まで一日7回。祈りの場で使われる歌の、かなりの割合が髙田三郎の手による「典礼聖歌」だといいます。
質素ながら峻厳さを感じる聖母子像が見守る白基調の空間に居て、道南にようやく春が訪れる復活祭で、またクリスマスの降誕祭で、修道士たちが執り行うミサの場を想像してみると、髙田三郎先生の厳しくも温かい、人間的な音楽がこの場にはとてもふさわしい、と感じていました。 (K5)
*冒頭画像 写真集「四季のトラピスト(北海道新聞社・編)」表紙 ※現在は絶版
*トラピスト修道院HP >聖母子像や聖堂の写真も見られます。
【資料より】(出典:「キリスト教音楽名曲CD100選」から[近現代のキリスト教音楽]髙田三郎 イザヤの預言/争いと平和 より)[髙田は幼い頃から教会学校に通いプロテスタントの進行を培われている。結婚を契機にカトリック教会へ転じ、それが彼と典礼音楽との運命的な出会いとなった。「カトリック聖歌集」の改訂に委員の1人として関わることになったのだ。「誰もが聞いて、わかる言葉に」との主張から、彼は口語で全面改訂することを提案したが、圧倒的文語派の反対によって涙をのんだ。しかしその後編集された「典礼聖歌集」では口語の良さが認められ、画期的な口語の聖歌集が出来上がっている。]この本によると彼の作曲した詩編唱和(独唱者と会衆、聖歌隊と会衆などに分かれて詩編を唱和すること)や讃歌の一部はカトリックのみならずプロテスタント教会の歌集にも採用され、「讃美歌第二編」などの歌集を通し教派を超えて歌われている。
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